クリスマスって、実は私にはあんまり響かないイベントなのだけど、子どものころはそうじゃなかった。
プレゼントがもらえるからではなく、好きだった欧米文学に出てくるクリスマスの雰囲気に憧れがあった。
雪と、パーティと、わくわくと、キラキラと、ロマンスの匂い。それにちょっと神聖な感じ。
今はもうすれた大人になっちゃって、あの頃の憧れやドキドキは戻ってこないけれど・・・
1.本の中のクリスマスは華やかな世界
私が小学生だったのは昭和60年代。令和の前の元号、平成のちょっと前だ。
今ほどおしゃれなクリスマスではなく、12月になると紙のブーツに詰まったお菓子がスーパーで売られていた。
それにいつものホールケーキにサンタクロースと雪だるまが乗せられたケーキがあって、ペラペラのビニールのツリー(組み立て式)にごつい電線とちいさい電球がついた電飾に折り紙でつくったオーナメントなんかを飾って、夕食にはそれらしくチキンが出るのだけど、ごはんとお味噌汁はいつも通り・・・。
そんな昭和感のある食卓だった。
イルミネーションは今みたく派手ではなかったし、子どもがプレゼントをもらえるイベントだから盛り上がってるだけで、クリスマスがキリストの誕生日らしいということは知っていたけれど、なぜそれを祝うのかまでは知らなかった。
クリスマスは恋人とデート!というのも、その頃すでにあったのかもしれないが、クリスマスが恋人同士のイベントとして定着したのは、もう少し後のような気がする。
ともあれ、そういう日本のクリスマス感といつも読んでいる本の中のクリスマスは同じものとは思えないほど違っていて、本の中の人たちはクリスマスに向けて、ずっと前から準備しているようだった。
プレゼントを用意したり、ご馳走をつくったり、家を掃除したり、飾りつけをしたり・・・。
クリスマスにはパーティがあって、友達とか親戚とかたくさんのひとが泊りがけで集まるようだし、ご馳走もなんだかすごくゴージャスで、特別で、その量もなんだかものすごそうに思えた。
クリスマスプディングやケーキの中には、1週間から1か月も寝かせたり(子ども心にカビたり腐ったりしないのか不思議だった。冷蔵庫じゃなくて地下室に置くって書いてあったから)するものがあった。また七面鳥やチキンに詰めるものについても微に入り細を穿つ描写で、登場人物のこだわりがそれぞれあり、クリスマスの特別感がメニューからだけでも伝わってくるようだった。
そもそも「プディング」ってなんなんだろう?というのが、実は今でもちょっとわかってない。
ふだんも食べるようだけど、クリスマスプディングにはもっといろいろな具が入っているみたいで、語感は「プリン」みたいだけどプリンより固そうで、ケーキとプリンの合いの子みたいなお菓子なのだろうか・・・。ブランデーをかけて火をあぶることもあるらしく、ますます謎の食べものである。
そしていざ、クリスマス当日になると、「クリスマスの晴れ着」なるものを着て、お客様をお迎えすると、ご馳走を楽しみ、歌って、踊っての大はしゃぎ。
日本では歌ったり踊ったり、ドレスを着たりすることは少ないので、海外のホームパーティにはすごく憧れがあった。
海外の家って広くて、お手伝いさんがいたりコックがいたりするんだ!とか、日曜日の晴れ着(教会に着ていく服)とか、クリスマスの晴れ着とか、特別な服があって、みんなふつうに踊れる。
翻って日本では、お正月でもめったに着物を着ないし、ご馳走もあるにはあるけれど、普段のごはんよりちょっと贅沢という程度。
もちろん、踊らないし歌わない。そもそもそんなスペースも家の中にはない。地下室もなければ、お庭でお茶をしたりすることもない。
ツリーだって、本の中のクリスマスツリーは本物のもみの木を使って、飾りや折り紙もプラスチックじゃない。プレゼントもひとつじゃなさそうだし・・・。
お祈りもしないし教会にも行かないし、(関東だから)ほとんど雪も降らない。
この違いを、そのまま受け入れてはいたけれど、親がつくるクリスマスディナーと自分でつくったケーキにサンタクロースのろうそくや砂糖菓子を乗せたものと、寝ている間に枕元に置かれるプレゼントをそれなりに楽しんでいたと思う。
でも小学校高学年になったころ、海外のようなパーティへの憧れが募って、できるだけ真似てみようと思い立ったことがあった。
2.子どもだけで盛り上がったクリスマスパーティー
私は3人姉妹の長女。3つ下と7つ下の妹がふたり。
最初にクリスマスパーティを計画したのは私が4年生か5年生ごろだったろうか。妹は小学校低学年、下の妹はまだ幼稚園児だったかもしれない。
まずはパーティをするとして、いつ、どこでするかが問題となった。
我が家の不文律として、食事の時間は絶対だし、家族そろって「いただきます」をしなければならないし、寝るのは20時と決まっていた。
親は厳しい人で、一緒にパーティなんて絶対楽しめないので、姉妹だけでやりたいけど、リビングでやったら親に見られてパーティどころではない。(うるさいと叱られるか、冷笑されてしまっただろう)
そこで、母にお願いしてちょっと寝る時間を遅くしても良いことにしてもらい、夕食後、お風呂を済ませて寝る時間までの間にパーティごっこをすることにした。
場所は子ども部屋だ。
3人姉妹で6畳の部屋を共有していたので、パーティーと言っても、3つの学習デスクとふとんで床は見えない。
お風呂の後だからパジャマ姿だし、ちいさい妹はすぐ眠くなるだろうから布団もスタンバイして、部屋の隅っこでショボいツリーが光っているもののパーティ感とはほど遠い背景。それでもふとんの上にちいさい折りたたみテーブルを置き、私は満足だった。
自分でケーキを焼き、精いっぱいそれらしくデコレーションしておいたものを切って、紅茶を入れ、おこづかいで買ったシャンメリーとお菓子。(シャンメリーとはシャンパンもどきの子ども用ジュースのこと。今でもあるかしら?)それから妹にあげるちいさなプレゼント。
おこづかいは少なかったので、プレゼントは手作り。当時いちばん好きだった「若草物語」を真似て、劇をやってみることに。
といっても、妹たちはちいさいし、衣装も小道具もないし、劇というほどのものでもなかったような気がするけれど、バスタオルで幕を張ってなんか楽しかった・・・というおぼろげな記憶は残っている。何を演じたのかはまったく覚えてないが。
2階には上がってこないでね!と言っておいたにも関わらず、きゃっきゃとはしゃぐ私たちのところへ母が上がってきて、もう片づけて寝なさいと言われるまでの間、そのパーティらしきものを私はすごく特別なものに感じていた。
いつもそういう自由を許してくれない厳しい親が、その日だけは「いいよ」と言ってくれたのも今思えば珍しかった。そもそもお小遣いで食べものを買うのも禁止されていたし、食卓以外の場所、ましてや子ども部屋でものを食べるのもダメだったから。
でも子どもだけのパーティーを楽しみながら、私はそのパーティが本来のクリスマスではないこと、日本のクリスマスはちょっとおかしいことを感じてもいた。
どういういきさつで通い始めたか覚えていないけれど、そのころ縁があってちょっとだけ日曜学校に通っていたこともあった。
伯母のひとりがクリスチャンだったこともあり、また本の中のクリスマスに宗教観がベースにあることも感じ取っていたので、まるっきり無宗教の我が家で、キリスト教どころか仏教にも信仰のない私がクリスマスを楽しむことの罪悪感みたいなものも同時に味わっていたのだと思う。
この自作パーティを開催したあたりを境に、日本のクリスマスを冷めた目で見るようになってきた。
3.クリスマスに冷めた私が今思うこと
もちろん、その後もクリスマスになればプレゼントをもらって喜んだり、友だちにメリークリスマス!と言ったりはした。
もう少し大きくなってから、デートをしたこともあったけれど、別にクリスマスに彼氏がいなくても平気だったし、レストランのクリスマスメニューやデパートのクリスマスコフレ、テーマパークのクリスマスイベンなど、あちこちの盛大なイルミネーションなどにも、わざわざ「興味ない」と人に宣言することはないけれど、私の中にあった憧れはすっかり消えて、代わりにあるのは「私はクリスチャンじゃない」というコツンとした想い。
それと、周りのクリスマスを楽しむ気持ちに同調できなくなってしまったことにちょっと寂しい気持ちだ。
子どもが生まれたとき、この自分の気持ちと「きっとサンタクロースやプレゼントを待ち望むだろう子どもとどう付き合っていくか」しばし悩んだ時期もある。
そして、うちでは基本的にクリスマスの飾りをしない。でもプレゼントはあげる。サンタさんが持ってきた!という設定なのでこっそり枕元に置くスタイル。ケーキとチキンも用意する。という妥協スタイルだ(ふつうか笑)。
幸い「ツリーが欲しい!」とか「イルミネーションつけて!」とは言われなかったし、下の子に至ってはサンタクロースを怖がったので、最低限のクリスマス演出で折り合いをつけることができた。
子どもがある程度育って、どうやらサンタクロースはいないようだ!と理解したころ、「うちではクリスマスのお祝いはしないけど、お正月はお祝いするからね」と話して、今ではクリスマスはチキンが出るだけ。
4.おわりにーー私の神様との付き合い方
私が憧れた本の中の世界は、たいていが19世紀が舞台だから、小学生だった私が「異国のお話」として思い描いていたのは当時ですら古い時代の話だった。なので、すでに本の中にしかないクリスマスだったかもしれない。
今は自分の子どもが大人になり、私はさらに冷めた目で日本のクリスマスを見ているけれど、独自に盛り上がっている日本のクリスマスを面白いとも思う。
イルミネーションを見ながらクリスマスデートというのはいただけないけれど、好きな人にプレゼントを贈るのはいつだって楽しいから今でもそれはする。
チキンも好きだから、クリスマスになるといつもは見かけないチキンの半身を買ってきてじっくり焼く。
思えば日曜学校に通ってみようと思ったのも、本の中の「神様」を理解したかったのかもしれない。そして、その本だけど、当時好きだったのは赤毛のアンや若草物語など、宗教色が見えるお話が多かった。それに北欧神話やギリシャ神話。日本の神様の話も好きだった。
でも実際には、周りに信仰をもった大人はいなくて、私の日常に宗教が入ってくることは滅多になかったので、私もそのまま無宗教に育った。
今でも私は特定の信仰を持たないのだけれど、八百万の神様を感じて生きているので、クリスマスもハロウィンもたくさんいる神様のひとりだと思ってお付き合いをしている。