お弁当の卵焼きを焼く。ふんわりと漂う卵焼きのにおい。同時にふっと浮かんでくるのは「高校生時代のお弁当」のこと。
においから、何かを思い出す…。そんな経験はないだろうか。
1.食べものの香りと思い出
1-1.お母さんと卵焼き
高校生の娘にお弁当を作る。いつも同じように、何も考えずに卵焼きを焼く。ぽってりとして、やや焼きすぎて、焦げ目がついている卵焼き。そして、湯気とともにふんわりと立ち上る卵焼きの「におい」。
その瞬間に思い出すのは、昔、母が作ってくれたお弁当の卵焼きだ。私が高校生のころ、ほぼ毎日、母はお弁当を用意してくれた。
冷凍食品もあったが、なぜか卵焼きだけは毎日必ず作る。そして、母の卵焼きもぽってり厚みがあって、必ず焦げ目がついていた。シンプルで、具は何も入っていない。
当時の私は、特別卵焼きが好きではなかった。
「ああ、いつもの卵焼きだな」という感覚。むしろ、から揚げやミートボールといった冷凍食品を楽しみにしていた。
しかし、なぜか大人になっても覚えているのは、ぽってりと厚みのある、焦げ目のついた卵焼きの姿とそこから立ち上るにおいだけで、他のおかずは一切記憶にない。
当時使っていた鉄製の卵焼きフライパン、その上で焼かれた究極にシンプルな卵焼き、それをお弁当箱にバタバタと詰めていたこと。
「お母さんっていいにおい」「卵焼きのにおいでしょ」という歌詞で有名な童謡がある。
私にとって、卵焼きのにおいは母のお弁当のにおいであると同時に、朝のバタバタした風景、家族をつなぐもの。だからこそ、今も私の記憶に深く刻まれているのだ。
1-2.昼食に作った焼きそば
お祭りの「屋台メシ」と聞いて、連想するのは焼きそばやお好み焼き、たこ焼きだ。食感や形こそ違うものの、この3つには、ソース味と青のりという共通点がある。
鉄板の上でじゅっと焼かれたソースのにおいは、胃腸を目覚めさせ、食欲を刺激する。そして同時に、私の「焼きそば」の記憶も目覚めさせる。
子どものころ、私は夏休みに姉妹3人分の焼きそばをたびたび昼食に作った。
両親は共働きで、3姉妹の長女だった私は、妹たちの分も含めて昼食当番をまかされていた。
少ない昼食レパートリーの中で、最も印象に残っているのは、焼きそばだ。そして、一番作るのが億劫だったメニューでもある。
焼きそばを作るのに、巨大で重い鉄製フライパンを使っていた。
野菜を切って炒めて、麺を加えてさらに炒める。大量の具材と、3人分の麺が加わったフライパンはさらに重くなり、真夏の台所で真夏の台所で汗だくになりながら、何とか焼きそばを仕上げた思い出がある。
苦労して作った焼きそばは、さぞかし美味しかっただろう…と思うかもしれないが、そうでもない。
粉末状の焼きそばソースがすぐ固まるので、味にムラがある。また、野菜の切り方や炒め時間も適当だったため、キャベツやにんじんは生焼け状態だった。
硬い野菜を食べるのも嫌だった。さらに、鉄製フライパンに焼きそばの麺がべったりくっつき、食後のフライパン洗いも苦行だった。
焼きそばのにおいで思い出すのは、こんな子ども時代の思い出と、その時の感情だ。
「どうして私がいつも昼ごはんを作らないといけないの。焼きそばなんて面倒!」というやるせない気持ちを思い出す。
焼きそばのにおいは、子ども時代「昼ごはんに作った焼きそば」の苦労の味。においは出来事と一緒に、その時感じた感情も一緒に呼び覚ましてくれるような気がする。
2.食べものの「におい」が記憶を刺激
実際に、香りは記憶やイメージを呼び覚ます「鍵」になると言われている。
人間の五感(視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚)の中でも、香りを感じる嗅覚だけが記憶をつかさどる海馬という脳の部位に、直接働きかけることができることによる。そして海馬は、その時の好き嫌いや、喜怒哀楽といった感情も記憶させている。
私が卵焼きや焼きそばのにおいから、昔の母のお弁当や妹たちに作った昼ごはん、そしてそのとき感じた気持ちを思い出せることも、納得がいく。
3.人間は忘れる生き物~香りで脳を刺激しよう
「1週間前に会った、あの人の顔は思い出せるのに、名前が出てこない」「手書きしようとしたら、漢字が思い出せない」…。このように、必要なときに、必要な言葉が思い出せない、と困ることはないだろうか。
人間の脳はキャパシティ(容量)が限られている。入ってきた情報全てを残すことは難しく、意識しないとどんどん忘れてしまう。
そして、生活が便利になっていることも、記憶力が低下する要因の1つかもしれない。私たちは楽になればなるほど、脳を使わなくなるからだ。
だからこそ、食べ物のにおいを含めた「香り」が役に立つ。香りは記憶と結びつき、脳を刺激するスパイスのような存在なのかもしれない。
6.おわりにーー
「ああ、いいにおい」と感じるものは、意外と身近にある。自宅に何気なく飾った植物や花、日用品、そして日々の食事の中にも、いいにおいは存在する。
においを感じたら、そこからイメージするものや「なぜ好きな香りか」を意識してみると良い。昔の思い出や感情を呼び起こして、脳に刺激を与えていこう。