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少年と記憶喪失のゴーストが事件を追う〜Unknown 1 濃霧のアンデールを一部無料公開

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霧に包まれた街で、不可解な事件が起きている――。

時計塔がそびえる街アンデール。
この街では、ある日を境に人が次々と姿を消し始めます。

そんな街で出会ったのは、
無鉄砲な少年レスターと、記憶を失ったゴーストのアダム。

生きている少年と、死んだはずの存在。
奇妙なコンビとなった二人は、街の行方不明事件の謎を追い始めます。

「Unknown」は、ファンタジーとミステリーが交差する物語。
本記事では、そのシリーズ第1巻の魅力を紹介します。

時計塔と霧の町で

時間帯的にも人々が動き始める頃でした。そんなアンデールのレンガ造りの建物が並ぶメインストリートは通勤する人やお客さんでごった返し、馬車がからからと音をたてて行ったり来たり。仕事前の一服でしょうか。葉巻を加えた男性達が喫茶店に入っていく姿もあります。紳士淑女の笑い声と時計塔の音が混じるこの町の通り。そこに〝彼〟はいました。何をするわけでもなく、喫茶店の壁に寄りかかるようにして立って人の流れを眺めていたのです。人々は彼の事など気にも留めません。自分の事で精いっぱいと言うように、一人とも目を向けないのです。

―――そう、彼の事などそもそも気づいていないかのように。

ワンワンワンワン!

犬の吠える声。ぶち模様の犬が牙をむき出しにしながら、壁を背に立つ青年に向かって吠えたてます。背の高い建物が作り出すこの日影は心持ち薄ら寒いようで、足元はまだ少し湿っていました。

ワンワンワンワン!

青年はちらとも犬の方を見ませんでした。ただ同じように、人の流れを見ているのです。〝見ている〟というよりも〝うんざりしている〟と言った方が正しいかもしれません。目的も無いままに、彼の黄色い目はじっと前を向いたままなのですから。

ワンワンワンワン!

「……うるせえな」

ようやく、黄色の目が犬の方へ向きました。顔だけ向けて、犬を見下ろします。彼は大男と言っても申し分のないくらい背の高い男性でしたから、そしてまた体つきもしっかりとしていましたから、ただ顔を向けただけでも迫力がありました。その迫力に押されたのか、身を少しかがめてうなる犬。そこに、可愛らしい声が飛び込んできました。

「もう、どうしたの?」

どうやら飼い主の少女のようです。くすんだ赤のドレスの裾は少し汚れてしまっていますが、決して低い身分ではないのでしょう。身なりは小奇麗で、立ち振る舞いにも品がありました。彼女はフリルのついたボンネット下でぷくっとほっぺを膨らませて、犬の首輪からのびるリードを拾い上げます。

「急に走ってっちゃうんだから。あんなに強く引っ張っちゃだめでしょ。私、転んじゃったじゃない」

くうん、と犬は少女を見ました。怒られてしょげているかのようです。でもすぐに、青年の方へ向き直るとまた怖い顔でうなってみせました。

「ほら、あっちいけよ」

ワン!ワンワン!

「どうしたの?」

少女は青年の方を向いて、それから犬の顔をのぞき込みました。きょとんとした目で見られてか、犬もばつが悪そうに口をつぐみます。

「変ねえ。何にもないじゃない。リスでもいたの?」

そしてそのまま彼女はくいっとリードをひっぱって

「おかしなリジーね。行きましょ」

と歩き出してしまいました。最後まで犬は少女へ何かを訴えようとはしていましたが、そのうち渋々といった様子で歩き出して人込みへ紛れてしまいました。そしてそのすぐあと、うーんとのびをして―――青年はすうっと日陰から通りへと出たのです。すうっと、それこそ重力を感じさせずに。

上等な黒いジャケットからのぞく生気を感じさせない青白い肌。風になびく煙のような長い巻き毛。もうお分かりでしょうか。そう、彼は幽霊。ゴーストなのでした。

「へへ、せいぜいお嬢に迷惑かけんじゃあねえぜ」

通りの向こうへと消えた犬に向けて、そうぽつりとこぼしてみせます。犬はもとより、今度は誰も彼の声を聞いてはくれません。忙しそうに湿った石畳の道を進む人々は、こんな町はずれのゴーストの事など構っていられないとばかり。いいえ、正確には『目に入らない』のです。でもそれが忙しさの為ではない事くらい、このゴーストにも分かっていました。

(全くよ。今日もいつもと同じだ)

前からも後ろからも押し寄せる人の波。自分の体を他人がすり抜けていくなんて、簡単に想像できるでしょうか。少なくとも彼はこの状況にはすっかり慣れっこで、むしろ肩と肩とがぶつかる感覚の方が思い出せない程です。

「あーもう、急がないと!」

「邪魔だ、邪魔だよ!」

向こうでは馬車から下りたご婦人が、ふくらんだ日傘を持ちながら通りの波に乗れずにあたふたしているようです。こうしてみると、むしろこの人通りの多い時間帯ではこの霊体の方が若干便利でしょうか。けれどそんな風に考えて唇の端に浮かんだ笑みも、すぐに込みあがった溜息にかき消されてしまいました。

(……退屈だ)

車道に出て馬車にひかれてみたって、彼の体はすり抜けてしまうだけで痛くもかゆくもありません。誰にも気にされない、何も感じないこの体になって、もうどのくらいの年月が流れたのでしょう。気がついた時にはゴーストでした。それこそ、もともと自分が人間だったのかすら怪しいくらいです。

(なーんか変わった事でもおきねえかな)

ふわりと宙に浮いて通りを見ます。足元を動く人の流れ。学校へ行く途中なのでしょうか、数名の子供達が大人の間を駆けて行くのが見えます。あっ、彼らの一人が落としたハンチングは、すれ違った親切なご婦人が拾い上げてくれたようです。声をあげ、手を振ってみせる彼女のこげ茶色のドレスは後ろが膨らんだ流行のデザインでした。ありがとう、とむしり取るようにして駆けて行く子供を見守って、連れの男性に微笑みかけます。彼は使用人か何かなのか、モノクルをはめた気難しそうな顔で髭を触っていました。

(あーあ、全く気付いてねえでやんの)

丁度彼らの後ろを通り抜けた、町工場の工員と見える小男の手にいつのまにか不釣り合いな長財布が握られているのを見て、ゴーストは小馬鹿にするように口元を歪めました。

毎日毎日いつもと同じ、騒がしい朝の大通りです。ふわあ、とあくびをして、東の空に浮かぶ太陽を見ます。それからまぶしさに目を細めて―――無性に、笑いが込み上げてきました。日の光に顔をしかめるゴーストだなんて、我ながら滑稽だと思えたのです。

そう、一般的なイメージであればゴーストは真っ暗でどこか淀んだ空気の漂う場所、はたまた月の綺麗な夜に現れる存在と言ったところでしょう。でも彼は違いました。こんなふうに朝早くから行動して、人間のようにあくびをして、暇をつぶす。体が透けているだけで、人に存在を気づかれないだけで、それこそこの町に暮らす他の人間とほとんど変わりなんてありませんでした。

だからこそ、時折無性に空しくなるのです。

(人間ならやる事があって、ダチや家族なんかと話して、それで一日終わるんだろうけどよ)

どこか世の中を斜に構えた、それでいて自嘲的な笑み。

(一日、一か月たっても、俺の時は止まったまんまだ。何も変わりゃあしねえ)

彼はそのまま宙を漂うと、ふいに建物をすり抜け隣の通りに出ました。建物の中の人間にも全く気付かれず、霧のようにすうっと。隣の通りは少し細いものの、この町を流れるデール川のよく見える川沿いの通りでした。対岸に渡るにはうんざりする長さの橋を通らなくてはいけない程幅広なこの川は、北にそびえる時計塔と並んで町のシンボルの一つです。そんな眺めの良い通りの喫茶店のテラス席で紅茶を楽しむお客の合間を、彼は観察するように進んで行きます。

(金持ちの上流階級は優雅にカフェタイムか……洒落てるねえ)

このようにじろじろと人を見ても怪しまれないのは、ゴーストの特権でしょうか。

「なんだ、今朝はやけに冷えるな」

紅茶をすすろうとした男性がぶるっと身震いします。彼のまとう霊気を感じたのでしょうね。隣の席の女性が小さなくしゃみをしたのが聞こえました。恥ずかしげに口元を抑える彼女を助けてくれたのは、丁度川向かいの駅を出発したばかりの機関車。大きな汽笛の音で色んな音をかき消しながら、煙を吐き出し川を渡って行くのがよく見えました。

「あちゃ、ぼーっとしてたら汽車が行っちまったよ」

「大丈夫さ。今日中にノース・オランテラ急行に乗れば、明日には着くだろ」

そんな会話をする二人組の男性はこれから遠出の仕事でしょうか。山高帽といいコートといい、お堅い仕事にぴったりな服装です。次にゴーストが近づいて行ったのは楽しそうに笑いあう品の良い女性二人組。でも彼女達もまた、冷えるわね、とケープを羽織ったのを見てしまってからは、申し訳なくて後ずさりせざるを得ませんでした。

(確かあの客は昨日も来てたな。いや、一昨日だったか?どうも退屈過ぎて、時間の感覚がおかしくなりそうだ)

やがて立派な口髭の紳士のそばまで来た時、ゴーストは足を止めました。小難しい顔で新聞を広げるトップハットの頭。それを後ろからのぞき込んで、ふうんとからかうような笑みを浮かべます。見出しにはでかでかとした文字でこう書かれていました。

『アンデール北東地区で、またも行方不明者か。なんと今月で三人目』

「またかよ。物騒なもんだな」

そう言う声は真後ろ、耳元に近いのにやはり届いていないようで、紳士は何食わぬ顔でパイプをふかしています。ゴーストは新聞の一面に目を通し、小さなため息をつきました。行方不明者の情報はあっても、どこにも彼の探し求める名前『アダム』という名前は見当たらなかったからです。

(……やっぱりか。ま、分からねえ事は考えねえってのが、一番楽なんだろうけどよ。なにせもう、俺には関係ねえことさ)

『アダム』。その名前だけがゴーストである彼の持つ唯一の生前の記憶でした。生きていたころ、それこそ今からどれくらい前かも分かりませんが、自分はその名で呼ばれていたような気がします。漠然としてはいますが、死に際に呼ばれた名前もその名だったと思えました。妙な事ではありますが、他に記憶が無いのにその部分だけはいやに確信めいたものを持っていたのです。

そしてもしアダムと言う男の死にまつわる情報があれば、それはきっと自分の事だと、その可能性があると思っているのでした。けれどももうずっと、気の遠くなる程新聞を覗いてもぴんとくる情報には巡り合えていませんでした。

(ありふれた名前だ。ましてや俺の死は昨日、一昨日の話じゃない。情報があるなら、もうとっくに出てるはずなんだが……)

空振りに空振りを繰り返して、もうどのくらいになるでしょう。この前の『アダム』は年老いた老人。その前は小さな男の子。どれも違うように感じられて、それでも今の自分が何者かなのすら分からない彼は、果たして正解に巡り合ったとして気づくものでしょうか。最早無駄な事のようにすら思えました。でもこの〝日課〟をこなさない事には気が休まらないのも確かでしたし、退屈なゴーストの一日を数分でも潰すには欠かせなかったのです。

(まあ、いまさら何で死んだかなんて知っても、どうにもならんよな……)

にっ、とゴースト―――アダムは笑います。やはりどこか自嘲的でした。

「悲しい事よ」

その声がまるで自分に向けられたようで、はっとして紳士の後ろ姿を見ます。勿論そうではありません。煙の上がるパイプをくわえた顔は、手元の新聞へ向けられていました。

「先月も先々月も……行方不明になった方々は、皆裕福な家柄の者じゃあないか」

「つまりですよ、あなた」

返事をしたのは向かい側に座る女性。赤い花の髪飾りの彼女は、どうやらこの紳士の奥さんのようでした。

「やっぱり行方不明じゃなくて、金銭目的の殺人なんじゃありませんこと?」

ぷっくりした腕をテーブルの上で組み替えます。

「きっと南の貧民街に住む低俗な人間の犯行に違いありませんわ」

「おいおい、まだ殺人と決まったわけじゃあないよ。それに彼らが犯人だと言うのも、決めつけちゃあいけない」

だって、と奥さんは唇を突き出しました。不安そうに旦那さんを見ます。

「この間だって、貧民街で殺人事件が起こったでしょう?酔っ払い同士の喧嘩だったって言うけど、お巡りさんが駆けつけなかったらどうなっていた事か……」

(貧民街、か)

アダムもそれを聞いて、ひと時の探偵気分を味わいます。

(ありえるな。アンデールは機関車も通ってるし、ここらへんじゃ都会な方だと言うが小汚ねえ貧民街があるってのも確かだ。治安は悪いし、まともな人間が出入りする場所じゃあねえ)

そのまま川向かいに並ぶ工場を見ます。朝早くだと言うのに、どの工場からももう黒い煙が立ち昇っていました。貧民街の住人は犯罪に手を染めたり怪しい物品を売ったりして生活をしているという話ですが、工場で働いている者の多くも同じような人達という噂でした。働いているのは生まれつきの身分が低い人達がほとんどで、少ない賃金で働かされているせいで、すっかり犯罪の無法地帯と化していると聞きます。それどころか最近はあくどい経営者が孤児や学校にも行けないような貧しい子供を無理やり働かせているという話もありました。けれどアダムが貧民街の住人の会話を聞いた限りでは、そんな工場でも働けているだけ豊かな方だと言うらしいのです。

(まあ、あそこに暮らしてる奴の中じゃ、まっとうな職と生活にありつけてる奴はそう多くねえ。疑いたくなる気持ちも分からなくはないな)

紳士はふう、とパイプを口から離して煙を吐きました。

「確かに貧民街には殺人なんて朝飯前のごろつきが多くいると言う。だがそんな場所に今回行方不明になったような方々がわざわざ赴くだろうかね。あんな場所に喜んでいくのは犯罪者か野良猫かそれこそゴーストくらいのものだよ」

「何を、この髭おやじ!ゴーストの俺だって死んでも……頼まれても行くもんかよ!」

そんなアダムの文句など聞こえるはずも無く、でもと小声で奥さんが言います。

「でもですよ?彼らが行かなくても向こうからこちらへ来たら?急に通り魔のように、襲われでもしたら……?」

「なんだ、お前は何をそんなに心配しているんだね?」

「怖いんですもの。次は私達じゃないか、って……」

「大丈夫さ」

そんな会話にけっ、と不満を露わにしてアダムはその場を立ち去りました。なんだか彼らの幸せな様子が、表情が、会話が、一人ぼっちの自分の胸には刺さってしまったのです。すいーっと背を向けて進みだし、彼の煙のような長い髪が風に舞った時、また背後で奥さんの声がしました。くしゅん、という小さなくしゃみとともに。

「……変ねえ。きゅうに背筋がぞくぞくして」

「怖い事を考えるからさ」

「そうね、うふふふ」

アンデール警察署にて

カチカチと鳴る時計の音。でも、この音は町のシンボルの時計塔のものではありません。もっと小さくて素朴な壁掛け時計が印象的なこの部屋は、アンデール警察署のとある一室です。仏頂面な警官が黒板に何かを書き足していて、その前で偉そうにふんぞり返っている警部は、席についている部下の顔を不機嫌そうに眺めています。

「いいか、今月で三人目だ!」

良く響く、大きな体にぴったりな声です。

「相次ぐ行方不明者。そして今日また!男の死体がデール川下流、貧民街の排水溝付近で見つかった!」

背中で手を組みまくしたてる彼の発言に、黒板に文字を書く部下も思わずびくびくしています。いつ怒鳴り声が、八つ当たりが飛んでくるか恐れているかのようです。

「男の身元を調べてみりゃびっくりだ。捜索届けの出されていた今月一人目の行方不明者じゃあないか。お前達、これがどういう事か分かるな?」

「わ、分かります。分かりますとも」

震える声で返事をする部下の元に、警部はゆっくりと近づいて行きました。そのプレッシャーにぎこちない笑みを浮かべながら部下は続けます。

「つ、つ、つまりこれは、さ、殺人事件として……捜査をした方がいい、と?」

バン!

「へらへらするんじゃあないっ!」

「ひいっ!」

目の前の机を叩かれて、部下は悲鳴をあげました。机の上に置かれていた資料でさえまるでびっくりしたように飛び上がり、部下はそれを拾おうと大慌て。警部はそんな彼へ鼻を鳴らした後、今度はその隣に座る黒髪の女性警官の元へと進んでいきます。

「そして、だ。もうひとつわかる事があるよなあ、ブラフォード君?」

「はい」

凛とした声で返事をする女性警官。

「先月の行方不明者四名と同じ末路です」

「そう言う事だ」

足を止め、警部は部下の警察官達を見ました。立派なカイゼル髭に手を添えたその眼差しだけで、部屋中に緊張が走るかのようです。

「つまり。一連の事件は殺人で、犯行の手口からしても同一犯と言える」

「で、ですが」

恐る恐る手を挙げたのは、テーブルの向かいで縮こまっていた細身の警官です。

「死体は目立った外傷の無い状態で水死体として発見されました。自殺、という可能性は無いのですか?」

「川に身を投げて自殺、か」

そう言ってから、思い出したように付け加えたのは、黒板の前の警官です。

「そういや、あの女もそうでしたな」

振り返った手は、チョークを握っていたせいで指先が白くなっています。あの女、と言う言葉に顔をしかめた女性警官。

「メリー・ヒューストンですか?」

「そうだ。他に誰がいる」

ふん、と黒板前の警官に笑われてしまったところからしても、まだ若いこの女性警官はこの部屋の中でも一番下っ端なのでしょう。警官は続けます。

「あいつは強盗殺人犯のくせに、独房にぶち込まれるのが嫌でデール川に身を投げたんだ。自分の罪を償いもせずに死ぬなんて、正義の警官は許してはおけんよなあ?」

ひひひ、と笑う彼の顔はどう見たって正義の警官という風貌ではありません。それどころか痛めつけられる獲物を逃がしてしまった荒くれ者にしか見えないのです。幸い、今ズボンでぬぐうようにふいた手についていたのは血ではなくてチョークの粉でした。

「いつからデール川は自殺の名所になったんだか。川が犯罪者の血で汚れちまいまさあ」

(ほんと、下衆な言い方)

その顔に嫌気がさして、女性警官は視線をそらしました。

「とにかくだ!」

話題を元に戻したのは警部です。

「先月の事件も未解決のまま、今月に入ってもまた同じように水死体が発見されたんだ。こりゃあ、うかうかしてはいられまい。アンデール警察の名にかけて市民を安心させなくてはならん。今後は殺人事件として捜査する」

机を叩かれた警官が大真面目な顔でうなります。

「外傷が無い、とすると毒殺か何かですかね?」

「跡は残っていないが、首を絞めて殺された可能性もあるぞ」

そう返してから警部はぎろりと怖い瞳を向けました。

「どちらにせよ、死体の発見を遅らせ自殺に見せかける為に川へ遺棄したに違いない。死因にこだわるのなら、水からあげたての冷たーい死体とお話でもしてくるんだな」

そうですね、と黒板前の警官は顔色を窺うような調子です。

「大事なのは犯人の奴を早くとっ捕まえる事でさあ。その点で言うと私が思いまするに、発見場所からしても貧民街の奴らを片っ端から調べてみるのがいいかと」

彼の口からのぞく金歯に顔をしかめ、女性警官が声をあげます。

「先輩、貧民街の住人に対して恨みでもあるんですか?」

なにい、と睨みつけられても彼女はひきません。

「失礼なのを承知で申させていただきますが……なんだかこう、先輩は貧民街の住人に対しての風当たりが強いような気がするのです」

これは彼女が共に仕事をする中で、前々から気になっている事でもありました。日頃から彼は好んで貧民街にパトロールに行っています。事件が起こるとすぐに貧民街の住人を疑い、正義の鉄槌と称して酷い暴力を振るう事もありました。正直な話、彼のそういった態度は噂になっており、影でもっと酷い事をしているという話もあるくらいです。

「ブラフォード。お前はまだ分からんのかもしれん。警察に入って日も浅いし、なにせ十八だ」

「十九ですよ!」

「ほとんど同じこった。俺の半分も生きてないって事には変わりない」

むっとした顔で噛みつく彼女は警官というより警察犬を思わせる強気な表情です。そんな後輩に怒鳴ると思いきや、黒板前の警官は諭すように話し出しました。

「まずこの町で事件が起こった時、疑うべきなのは貧民街の奴らだ。忘れるなよ。奴らはその日の暮らしの為に人も殺すし盗みなんてしょっちゅうだ。俺達警察が威厳を持って堂々と接しないと、犯罪は増えるばかりなんだぞ」

そう言われても、どうにも女性警官の目には彼が正義感から動くような人物には映りませんでした。彼だけではありません。この場にいる同僚達、それからパトロールに出ている他の警官もほとんどが彼のようなねじ曲がった価値観を持っているように感じられたのです。

(貧しい人間や育ちの悪い人間の犯罪がこの町に多いのは確かだ。けど、だからって全員が全員そうじゃない。そんな風に周りの人間が偏見を持って接してるから、貧民街の人間はそこから這いあがる事すらできない悪循環におちいってるんじゃないか)

机に置かれた彼の警官帽にちらと目を向けます。丸くて長い帽子に光り輝いている警察のシンボル。子供の頃はこの上なく頼もしく思えたそんな紋章が、今はなんだか酷く錆びついて見える気がしました。

(警察は弱者を守る正義の組織だ。けど、あんた達のやっている事は、弱者を悪者にした自分のうさ晴らしじゃないか)

そんな彼女の視線にも、金歯の目立つ警官は気づいてもいないようでした。

「今回の事件に関しては確かに、貧民街が怪しいのも確かだ」

口ひげを触る警部。時計をちらと見ます。そろそろお昼休憩が欲しくなってきたのです。

「遺体の発見場所は下流とはいってもデール川主流から外れた貧民街の奥地だ。遺棄する場所としては目立たずぴったりじゃあないか。そして犯人はそんな貧民街の奥地に堂々と入り込める存在……つまり、そう言う事だろう」

「警部まで!」

身を乗り出す女性警官。そのせいで窓から差し込む明かりが顔にあたります。長いまつげの奥で、こげ茶色の瞳はまっすぐに警部を見据えていました。

「まだ証拠も無いのに、決めつけて視野を狭めるなんて非効率です!」

「なんだね」

小さな目だけで彼女を見下ろした警部の様子は、正直面倒臭いと言わんばかりです。

「ブラフォード君。人々は早いところ犯人を捕まえてほしいと思っている。そんな時、捜査対象を貧民街の奴らにしぼるのは、そんなに悪い事かね?」

それは、と言いかけて女性警官は言葉を濁しました。警部の言葉の裏にある圧力を感じたのです。そしてそれと同時に、早い段階で犯人が捕まり警察の信頼が保たれるならば誤認逮捕だったとしてもいい、というようなずさんな捜査を容認しているのだとも気づいたのです。

(先輩も警部も……皆して。なんなんだ、この町の警察は!)

怒鳴りつけそうになる声をぐっと喉に押し込みます。それからあえて落ち着いて声のトーンを落とすと

「すみません。ですが正直、前のメリー・ヒューストンの事件だって納得いっていないのです。確かに彼女は被害者の男性から婚約破棄をされた直前でした。けれど金品も奪われていましたし、殺傷の跡からしても犯行動機は怨恨では無いような気がするのです」

彼女の視線は下を向いていました。古めかしい暗い色の木の床。質素な木目模様は、気持ちを落ち着かせるにはうってつけでした。落ち着いて、興奮せずに淡々と続けます。

「事件の解決を急ぎ過ぎて、捜査がずさんになっては本末転倒ではありませんか?」

きっと貧民街の住人に焦点が当たった今、捜査の方法は悲しい事に少々荒っぽくなるでしょう。先輩達がそんな人間だという事はよく分かっていました。でもその捜査のせいで、罪もない人間が犯人に仕立て上げられてしまうのは許せなかったのです。けれどその思いは、どうにも届くことはないようでした。

「メリー・ヒューストン……彼女こそまさに、貧民街出身じゃあないか。貧しい暮らしの者が金品を奪って何がおかしい」

警部は馬鹿馬鹿しい、とばかりに首を振りました。

「そもそも婚約破棄の原因も、隠していたその生い立ちの悪さが分かったからだ。つり合わない工場経営者との婚約。それを破棄された事による怨恨と金銭目的の殺害。これ以上の理由がどこにある?」

それから彼女に言い返されるより早く手をあげ

「やめたやめた。解決した事件、それも犯人が死んでいる事件の話なんか時間の無駄だ。私達は早急に今回の事件を解決せにゃならんのだ」

それから胸ポケットから葉巻の箱を取り出しました。

「ともかく、そろそろ休憩だ。続きは後で好きなだけしてもらうぞ。好きなだけな」

警部、続いて先輩達がぞくぞくと部屋から出ていく中、最後まで女性警官は立ち上がる気が起きませんでした。この理不尽な立場を、残酷な事件を、どうにか打開したい気持ちがずしりとのしかかってきて、どうにも足が重かったのですから。

(私が憧れていた警察官は、こんな腐敗した集団じゃなかった……)

ぐぐっと、膝に置いた拳に力を込めて彼女は深いため息をつくのでした。

その少年、レスター・ブラフォード

休憩が始まってしばらくして、ようやく女性警官が警察署の外に出た丁度その時。警察署の前に、小柄な少年が縮こまったように立っているのが目に入りました。少年は様子を伺うように、言い返るのならば周りの目を気にして怯えているかのように立っていて、彼女を見つけるなり早足で駆け寄ってきます。その様子に女性警官は肩をすくめました。

「どうしたんだ、レスター」

「お、お、お姉ちゃん」

少年は彼女の足にしがみつくようにして、それから目の前の通りを過ぎ去っていく警官の後ろ姿を指さします。川沿いの道を、細身の警官を連れていかにも偉そうに去っていくのが見えました。

「あいつ。あいつだよぅ。あいつがぼくの事蹴ったんだ。邪魔だって」

女性警官が思わずくすっと笑ってしまったのは、その声が今にも泣きだしそうなくらい弱々しかったからでした。

「そんくらいでいちいち泣くなよ。男の子だろ?」

「だって、だってお姉ちゃぁん……」

「分かった分かった。怖かったよな、私からも言っておくよ」

ハンチングをかぶった少年の頭を乱暴にくしゃくしゃっと撫でます。彼女と同じ黒髪を持つ彼は、弟のレスター・ブラフォードでした。姉である警官、ケイト・ブラフォードはあの後ろ姿が先程の会議に参加していたあの金歯の先輩だと分かり顔をしかめました。やっぱり思った通り!彼は弱い者をいじめる悪者です!

それから、足にしがみついたまま離れないレスターを見ると

「それにしてもどうしたんだ、急に?休憩中だからいいものの、仕事場にまで来るなんて」

その言葉にようやく顔を見せた彼の顔色が優れないのを見て、ケイトは不思議そうな顔をしました。どうやらこの顔は警官にされた意地悪だけが原因ではないと察したのです。

「何かあったのか?」

「あ、あのね、ぼく……」

レスターはそこまで言って、また人の目を気にするようにそわそわとして見せました。ははあん、とケイト。

「分かったぞ。お前、またゴーストを見たとか言い出すんじゃないだろうな?」

ぎょっとして彼の瞳が大きくなります。これもおんなじの可愛いこげ茶色の瞳でした。

「それともなんだ、今度はバンパイアか?ウェアウルフか?」

「ち、ち、違うよ!違うよ、ぼく……えっと、違くないけど、違うと言うか」

「ああもう、いつもながらに歯切れが悪いな。別に私はお前をいじめやしないし、殴りもしないから、もうちょっとはっきり話しなよ」

そのきつい口調にもうっと声をあげて、でもぎりぎり踏みとどまった様子のレスターはそれでも涙声でした。

「ゴーストは、ゴーストは確かに本当に見るんだ。でも、でも今回はちょっと違って、今日ぼくが話に来たのはね、えっと、その……ゆ、行方不明の事件の……」

「おうい、ブラフォード!なんだこれは!」

小さな声をかき消したのは、雷のように降りそそいだ警部の声です。

「いっけね。なんか怒ってるみたいだ!」

ケイトはすっとしゃがみ込み、レスターの肩に手を置きました。

「ごめんな。続きは今度聞かせてよ」

えっ、と悲しみが顔に出る彼に追い打ちをかけるように、警察署の三階の窓から顔を出す警部。あそこから見下ろしているだけでも、それこそ悪魔の親玉のような髭面の怖い顔です。

「わ!さ、さ、サタンだ!」

しっ、と弟の失言を慌てて叱りつけます。幸い、警部には聞こえていないようでした。

「何をしてる。そんなところで油売ってる暇があるなら早く来い!」

「はい、今すぐ!」

窓の向こうへ恐ろしい顔が引っ込んで行きます。ドアノブを掴んで、ケイトはため息交じりに小声で言いました。

「サタンか。ま、あながち間違いじゃないね。私が心臓を取って食われたら嫌だろ?悪いけど、もう行くよ」

「ま、待って!」

レスターは後ろ姿にしがみつくかのようです。

「今夜は一緒に、一緒に夜ご飯……」

「ああ、食べれるように早く帰る。じゃあな!」

バタン!

閉め出すかのような冷たい音をたて、警察署の重い扉は閉じられてしまいました。

「お姉ちゃん……」

一人その場にぽつりと残されたレスターの目はまたうるうるです。もう開かないと分かっているのに、ぼーっと扉を眺めて立ち尽くします。

(誰もぼくの話なんて、聞いてやくれないんだ)

どうしていつもこうなのでしょう。姉が忙しい事はよく分かっていました。町の大人達だってそうです。この曇天へと煙を吐き出してばかりの街並みを見れば、自分のような子供に構っていられるようなのんびりした田舎町でない事くらい分かります。けれどだからって、あんまりではありませんか。

(ぼくが、ぼくがしっかりしないからなのかな……)

悔しくて、悲しくて涙が出てきます。自分の事ながら、なんて情けないのでしょう。

(行方不明の事件の犯人が分かれば、お姉ちゃんも喜ぶと思ったのに)

次に視線に入るは入口のタイル。それもだんだん視界がぼやけてきました。

(ぼくは知ってるんだ、犯人を。誰も、誰も信じてくれないかもだけど……)

彼を取り残すかのようにして時間は動きます。背後を、警察署の前の通りを人が歩いていく足音が聞こえます。あれは川を往来する船の汽笛の音でしょうか。軽快なこの音までもが、まるで意気地なしで泣き虫な自分を馬鹿にしているように聞こえます。やがて町を見下ろすシンボルである時計塔が時を告げた時、彼は涙をぬぐって振り向きました。デール川の傍のこの通りを見て、向こう側の工場からあがる黒い煙を見て、そしてふいに涙でかすんだ目に、灰色の影が飛び込んできたのです。

あっ!と気づいてまた目をこすると、今度ははっきり分かりました。目の前の通りを、煙のような長い髪をなびかせたゴーストが霊気の霧をまといながらすーっと飛んでいったのです。

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おわりに

「Unknown 1 濃霧のアンデール」は、

✅ 霧に包まれた街というミステリアスな舞台

✅ 少年とゴーストというユニークなコンビ

✅ 行方不明事件をめぐる謎

といった要素が組み合わさった、読みやすいファンタジーミステリーです。

第1巻では物語の核心はまだ明かされませんが、
レスターとアダムの出会いと事件の始まりが描かれ、
シリーズ全体へとつながる謎が提示されます。

「ファンタジー」「ミステリー」「少年冒険譚」が好きな人にとって、
この作品は新しい物語の扉を開く一冊になるでしょう。

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